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青木勇気

Author:青木勇気
小説を出していたり絵本も書きたかったりします。物書きと呼ぶにはおこがましいくらいのものですが、物語を書いて生きていけたら幸せだなと思っています。

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石巻で見た「自由の女神」

2012.05.29 13:38|雑記
石巻に行った。ボランティア活動としてでもなければ、誰かに依頼されたわけでもない。ただ見にいきたかったというだけだ。見にいかないわけにはいかないという気持ちはずっとあった。その意味では、やっと行くことができたといった方が正しいかもしれない。

6,7年前に訪れた際には、仙台市内と日本三景・松島の観光が目的だった。そして今回も中心市街地から入ったため、震災後の姿をうまく想像できなかった。ただ、仙台駅の切符売り場に行くと代行バスに乗り換える旨が書いてあり、まず「線路が途切れている」という事実を認識する。以前訪れた観光名所は、乗り換え場所になっていた。

切符を買い、仙石線に揺られて松島海岸駅のホームに降り立つと、遠目に美しい海岸と青々と生い茂る松林が見える。ここまでは記憶のままだ。改札を抜けるとバスが待っている。平日の昼ではあったがほぼ満席で、乗客の属性も市街を走るバスとそれほど違いはなく、本来はないものに乗っていることを忘れてしまうものがあった。

だが、ほどなく景色はがらりと変わる。ところどころレールが途切れた線路を横目に、海に面した側ががらんどうになっている家屋、傾いた電柱、ひしゃげたガードレールなどに目を奪われ、否応無くそこにあったはずのものに思いを馳せることになる。今何もないように見えるところは、そこを行き交う人々の生活の一部だったのだと。そんな風にぼんやりと考えていると、海が見えなくなりのどかな町並みが流れ、終点の矢本駅に到着した。再び仙石線に乗り換え、15分ほどで石巻駅に辿り着く。

プラットフォームに降り立つと、漁場ならではの、そしておそらくそれだけの理由ではない、鼻をつく独特な匂いがした。駅自体はこざっぱりしていて、改札口まで行くとサイボーグ009と仮面ライダーの像が出迎えてくれる。「萬画」を活かした創造性ある街造りを体現するオブジェは、以前からそこにあるはずなのに今しがた作られたかのようにつややかで、妙に生々しく感じられた。

駅からマンガロードと名付けられた商店街を抜けると、片側が通行できなくなっている橋と、その先に中瀬の角に宇宙船を思わせる建物が見えてくる。石ノ森萬画館だ。遠目には休館中とは思えないほどきれいだが、正面入り口に近づくとそこにはしっかりと津波の爪痕が残されていた。

一階部分は浸水し事務所やショップに水が流れ込み、押し流されてきた家屋や船がぶつかったことで窓や壁が破損している。エントランス部の「石ノ森萬画館 ISHINOMORI MANGATTAN MUSEUM」の文字は一部はぎ取られていた。割れてしまった窓の枠に打ち付けられた板には、仮面ライダー海斗のイラストや仮面ライダーを演じた藤岡弘、氏のメッセージをはじめ、一早い復活を願う人々の言葉が所狭しと綴られている。

左手には、同じく修復中の石巻ハリストス正教会、「入らないでください」という黄色いテープが巻き付けられた遊具、半分ほど元の姿を取り戻したヨットハーバーがある。この場所に公園や神社、商業施設があったことを思い浮かべるのは簡単ではない。残存物や1年2カ月かけて復元したものから類推することはできても、そこに日常という風景や彩りを加えることができないのだ。あたりには人影がなく、時がゆっくりと流れているように感じられる。

中瀬の先端に向かって歩き、石巻漁港のある方向に視線を移すと、そこには目を疑うような光景があった。左半身を失った「自由の女神」が、どんよりと曇った空を挑むように見上げている。あまりにも象徴的な存在だ。

衰退が進む中心街の再生に向けて北日本海事社によって作られたものらしいが、事情を知らない者からすると、場違いな舞台に駆り出された役者を見ているような違和感があった。その姿は、堆く積まれた瓦礫の周りをせわしなく動き回るブルドーザーを見守っているようでもあり、ただぼんやりと虚空に無感動で平板な眼差しを向けているようでもある。

もちろん、そこには深い意味などない。メタファーを見出したり物語を拵えることは難しくないが、その必要はない。象徴的であろうが暗示的であろうが、「自由の女神」は他の流されたものと流されなかったもの、崩れたものと崩れなかったものと何ら変わりはない。解釈を加えるまでもなく、石巻を形作るもののひとつなのだ。静けさの中には、無名の人々が我慢強く、寡黙に、少しずつ、確実に元通りにしようと取り組んできたことが息づいている。

中瀬の突端に立ち、「見にきてよかった」、ただそう思った。実際のところ、観光することでわずかばかりのお金を落とし地元の人と少しだけ話ができただけで、被災地に対して何か貢献できたわけではない。

しかし、その土地に足を運んで感じることは、そのことを通してしか得られないという厳然たる事実を、そして自分が目にしているのは物事のひとつの側面に過ぎないことを確認できた。被災地や被災者に関して雄弁である必要はないということも。

騒ぎ立てるのはいつも第三者であり、それはほとんど別の世界の話なのだ。それぞれができることをできるだけする以外にできることはない。当たり前のことだが、改めてここに記したいと思う。

※言論プラットフォーム「アゴラ」に掲載された記事を転載しています
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