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青木勇気

Author:青木勇気
小説を出していたり絵本も書きたかったりします。物書きと呼ぶにはおこがましいくらいのものですが、物語を書いて生きていけたら幸せだなと思っています。

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物書きの端くれとして伝えたいこと

2012.03.28 09:45|雑記
アゴラで書くようになって3カ月ほどになるが、振り返りの意味も込めて書き留めておきたいことがある。そもそもこれは「書くべきこと」ではないかもしれないし、アゴラの運営サイドや他の論客からは「野暮なことを」と呆れられるかもしれない。

ただ、この話は運営側が言うとどこか胡散臭くなり、また第三者が書くと的外れの内容になるため、利害関係のない当事者である私に書かせてもらいたいと思うのだ。目的は、一部で囁かれる「アゴラ陰謀論」の否定と、物書きの端くれとしての願いを伝えることである。

まず、ひとつめのポイントとして「利害関係」について説明したい。アゴラは「言論プラットフォーム」と謳うだけあって、様々な分野の人間が好きなように持論を展開するサイトだ。もちろん、こういうことを書け・書くなといった言論統制はない。メンバーになると一日一回投稿することができるが、そのシステムは自分で更新をかけるものであり、100%書き手に委ねられている。
 
つまり、運営サイドはアウトプットをコントロールできない。また、(少なくとも私に関しては)金銭のやり取りもないため、運営サイドと書き手の間に利害関係が成り立っていないことは自明である。メリットと言えば、一定数の読者を抱えたサイトで個人として発言できること、そして読者や他の論客とコミュニケーションを取れることくらいである。

なぜ、このような内情をわざわざ晒すのか。それは、単純に下記のように邪推する方が少なからずいるからである。

「誰もが書けるわけじゃないし、都合の悪いことを書く人は排除してるでしょ」
「池田信夫が気に入った人、もしくは池田信者だけで構成されている」

前者でいえば、一部の専門家以外は「投稿」という形でスタートするわけで、その意味では誰もが書ける場ではない。だが、それはサイトのコンセプトやクオリティ管理の問題であって、都合の善し悪しの話ではない。後者も同様で、池田信夫氏が主宰するサイトなのであれば、彼の信者かどうかは関係なく、そこに載せるコンテンツを選ぶ権利がある。

これはいわゆる編集権のようなものであり、雑誌でも他のコンテンツサイトでも同様のことが行われている。そもそも客観的中立を標榜しているわけでもなく、毎日必ず様々な分野の記事を更新するポータルサイトというわけでもないのだから、書き手の専門分野が偏ったりネタがかぶったりするのは当然だ。

また、「池田信者か否か」という観点でいえば、私自身池田氏のtwitterアカウントをフォローしたり記事を読んだりしているが、必ずしもその内容に賛同するわけでもないし、そんなに攻撃的な発言をしなければ良いのにと思ってもいる。池田氏から褒められたり何らかの権利を与えられた経験もないし、むしろお叱りを受けたくらいである。

もちろん、そのことを恨んではいないし、この場を借りて非難したいわけでもない。利害関係があり言論統制が行われているのであれば、このような記事を書けるはずもないこと、そして現にこうして掲載されている事実により邪推が邪推でしかないことを証明したいだけである。

ただ、これだけだと「気にしすぎなんじゃないの?」というレベルの話になってしまうので、ふたつめのポイントとして「BLOGOSとの関係性」について説明したい。

まず、アゴラは元々BLOGOSの一部であって、独立した今もアゴラの記事はBLOGOSに同時掲載される可能性がある。「可能性がある」というのは、アゴラに掲載されたのちにBLOGOS編集部によって選定されるという意味であり、筆者が直接掲載してくださいとお願いするわけではない(希望すれば外してもらうことはできるかもしれないが)。

力関係や契約内容などは存じ上げないが、書き手の目線からすればそういう関係である。アゴラで書くと幅広い読者層を持つサイトに掲載され、より多くの人に読んでもらえる可能性がある、これ自体は書き手にとってはメリットだ。

ただ、ネガティブな面もある。匿名OKのコメント欄で繰り広げられる、より深刻な「陰謀論」である。私自身もコメント欄で妻や子にはとても見せられないような罵詈雑言を浴びせられたが、よくよく見るとそのほとんどが文章そのものについてではなく、限りなくルサンチマンに近いレッテル貼りなのだ。その一部を紹介しよう。

「アゴラの池田信夫って、ほんとうこういう馬鹿な記事書き散らかす」
「アゴラの読者やBLOGOSの読者を徹底的に愚弄しているから、この程度のお粗末作文でいいと思っている」
「アゴラが経団連の犬であり、経団連の意向に沿ってTPP賛成、増税賛成、原発賛成の駄文を垂れ流しているのは周知の事実」

これらはほんの一例で、他の論客の記事にも同様のコメントを見つけることができる。「レッテル貼りを生業にしているのはほんの一部だから相手にしなければいい」と一言で片付けることもできるとは思う。

だが、こういう激しい言葉がコメント欄を埋めるとそこはもう議論の場ではなくなり、他の方は自分も叩かれるのではないかとコメントしにくくなるという悪循環に陥ってしまう。こういった類いの陰謀論を真に受ける方はほとんどいないだろうが、記事と無関係の内容の罵詈雑言が飛び交う場所に署名記事が晒され、コメントが残るということはデメリットでもある。

このように書くと、「好きで書いてるんだから仕方ないでしょ。嫌ならやめれば?」「コメント欄に何を書こうが自由だ」「読むに値しないものだから叩かれて当然」などと言われてしまうかもしれない。確かに、作品なり何なりを世に送り出した時点でそれは批評の対象となるし、未熟であることも否めないとは思う。

ただ、だからといって根拠もなくレッテルを貼ったり、誹謗中傷をする「自由」が担保されるわけではない。そういうものが発生するのは構造上「致し方ない」としても、「好きにやっていい」ということにはならないのだ。上記の通り、報酬をもらってやっている仕事でもなければ、利害関係も発生していない。批判されて当たり前、高品質を保てというのは、過ぎた要求ではないだろうか。

もちろん、上から目線で黙って読めなどと言っているのではない。むしろ、ひとりの書き手として、同等の立場からの意見やアドバイスを頂戴したいと思っている。上記で紹介したルサンチマン的な罵詈雑言をネットに向けて放つのではなく、生身の人間に向けて生の声を聞かせてほしい。

当然ながら、私も大抵の場合は「読者」であり、何が書かれているのかを理解すること、背景や文脈を読むこともさることながら、そもそもこれは何のために、何をモチベーションにして書かれたものなのかと思いを馳せるようにしている。そこまでしてもなお批判すべきだと思うなら、コメントを寄せるなり、発言の意図を疑うなりすればいい。そうなれば、いわれのない批判はなくなり、議論が生まれるようになる。これは論理的な話であり、理想論などではない。

さて、長々と「陰謀論」を否定しながらそれがいかに非生産的なものであるかを述べてきたが、最後にこの疑問に答えて締めくくろうと思う。

—— なぜ、利害関係がなく金銭的なメリットもないのに書き続けるのか。

おそらく、ここを理解してもらえないから邪推も生まれるのだろうと思う。懸命に取り組んでいるのは、そこに何らかの利益や陰謀があるからに違いないと。だが、私はきっぱりと「そこに陰謀などない」と答えたい。たとえば「原発問題」に触れるのは、ある恣意によって書かされているからではなく、単純にその問題について考え、何かできることはないか、何か伝えられるのではないかともがいているからだ。

こいつはバカかと嘲笑されても書くことをやめないのは、私には考え、感じ、書くことしかできないからであり、誰がバカで誰が真実を知っているのかなどとは別の問題と捉えているからに他ならない。つまり、バカなりに言い争ったり陰謀を疑ったりしている場合ではないことくらいは理解しているということだ。

私からの願いはただひとつ。邪推や批判、要求を控えめにして、その分ほんの少しでも敬意を払ってほしいということ。それは、「私に」ではなく、生身の人間が利害関係を越えて書いたものすべてに対してである。

※言論プラットフォーム「アゴラ」に掲載された記事を転載しています
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