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Author:青木勇気
小説を出していたり絵本も書きたかったりします。物書きと呼ぶにはおこがましいくらいのものですが、物語を書いて生きていけたら幸せだなと思っています。

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「ドリランド騒動」によってあぶり出されたもの

2012.02.27 12:48|雑記
「行き過ぎたソーシャルゲーム GREEで不正行為の内幕」を読んだ。波紋を呼んでいる「ドリランド騒動」について、「換金市場」と「射幸性」を軸に記者が自ら被験者となりながらソーシャルゲームの闇の部分をあぶり出す、非常に読み応えのある記事だった。

すでに目を通した方も多いだろうし、記事に関するレビューも相当数あるのではないかと思われるが、本稿でも一点だけ問題提起をしたい。というのは、記者の井上理氏は「射幸性」について鋭い指摘をしていたが、それに加えて「なぜ、こんなにも射幸心を煽る仕組みが機能するのか」も重要だと考えるからである。 

まず、記事内のこの一文に注目していただきたい。

単なるデジタルの「絵柄」が、月間1億3000万円以上も現金に換金されていた。

 
いくら射幸心を煽る仕組みになっているからといって、「単なるデジタルの絵柄」に価値を見出すだろうかと不思議に思うはずだ。その理由が、「終わりのないソーシャルゲームを有利に進めるため」だけだとしたら、なおさらおかしい。なぜなら、ゲームセンターにも対戦型カードゲーム(1プレイ300円)があり、ゲームをこなして経験値を積みながらカードを集めていくという点では同じだからだ。

しかも、これらはよりゲーム性が高く、かつガンダムや三国志やサッカー選手など、元々「キャラクター」として人気のものを扱っている。「単なるデジタルの絵柄」などではなく、実際に手に取って愛でることもできるカードだ。

このようなコレクター魂を揺さぶるレアカードであっても、10万円を超えるような額で取引されることはない。たとえば、「ワールドクラブチャンピオンフットボール(WCCF)」というゲームでいうと、ロケテスト版でのみ出現した最上級に入手困難なレアカードですら7万円程度の値付けである。他のレアカードでも3万円を超えるものはほぼない。※「Yahoo! オークション」調べ

また、パチンコ・パチスロなどの遊技機開発において、液晶画面で展開する「演出」はユーザーを煽る装置として重要視されるが、ソーシャルゲームのガチャで行われている表現やゲーム性がそのレベルを超えることはない。要は、射幸心を煽る装置としてはそれほど高度なものではないのである。

そう考えると、ソーシャルゲームにお金をつぎ込むことには、射幸心ともコレクター精神とも違う何かが働いているのは間違いない。そしてそれは、「ガチャ」体験を振り返った井上氏の感想の中に読み取ることができる。

550万人中の8万人になれたという達成感と優越感。と同時に、単なるゲームのイベントに2万円近くも費やしてしまった自分に対する複雑な感情も襲ってきた。


この反応は、射幸心が煽られてしまった人のごく一般的な感情だろう。費やした時間をどう捉えるかはさておき、2万円あればこんなことができた、あれが買えたと「価値換算」したり、罪悪感に苛まれたりするものである。

ただ、これは「ソーシャルゲームにお金をつぎ込まない人」の話だ。射幸心が煽られる構造があることは示してはいるが、上記の通り、射幸心を煽る装置として特別なわけでもなければ、カード自体がコレクション対象として魅惑的なわけでもなく、それだけではフルコンプに数万円~数十万かける理由とは言えないだろう。

では、ソーシャルゲームにお金をつぎ込む人は何が違うのだろうか。それは、お金をつぎ込むことへの後ろめたい感情より優越感を求める感情が勝るからだ。言い換えると、ソーシャルゲームによって「自尊感情を補完できる」からである。羨望の眼差しを向けられるのがネット上での「アバター」なのだとしても、ゲーム内で得られる達成感と優越感が自尊感情につながるのだ。

記事を読みながら、友人が「『怪盗ロワイヤル』で他のプレイヤーにいいところを見せたくて月2万円ほど使ってしまった」と言っていたのを思い出したが、まさにこのパターンに当てはまる。RPGなどのコンシューマゲームにも「パーティー」はいるが、基本的には自分一人で動かすものであるし、パーティーにいいところを見せる必要はない。

ただ、ソーシャルゲームは違う。従来のゲームのようにボスを倒して終わりというものではないから、プレイヤーはゲームを続けざるを得ない。これは確かだが、ストーリーを味わいながらレベルを上げ、アイテムを揃え、ボスに挑むという構図は同じでも、「目的」が違う。

ソーシャルゲームでは、課題をクリアすること(達成)は「目的」ではなく、優越感に浸るための「手段」である。たとえば、ドラゴンクエストをはじめた際に「お金を払えば簡単にクリアできるよ」と言われても、それに応じることはないだろう。なぜなら、ゲームを楽しめないし、そんなことをするのはナンセンスだからだ。しかし、ソーシャルゲームでは実際に行われている。

井上氏は、レアカードの複製が流通することによってゲームバランスが崩れ、不公平感からユーザーが離れるリスクがあると指摘していたが、これはソーシャルゲームが従来のゲームデザインから外れたものであることを浮き彫りにする。

ゲームバランスは、難易度と快適さのバランスであり、ゲームの面白さを決める重要なファクターだが、ソーシャルゲームではレア度と射幸心のバランスにすり替えられている。つまりは、面白さを決めるものではなく、あくまで売り上げを決める尺度なのだ。

この仕組みに自尊感情と不正行為が加わるとどうなるかは、見ての通りである。

※言論プラットフォーム「アゴラ」に掲載された記事を転載しています
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