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Author:青木勇気
小説を出していたり絵本も書きたかったりします。物書きと呼ぶにはおこがましいくらいのものですが、物語を書いて生きていけたら幸せだなと思っています。

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「佐々木俊尚氏に絡んだ人たち」が本当に恐れるべきもの

2012.02.07 22:32|雑記
Twitter上で大いに盛り上がった「佐々木俊尚氏に絡む広告業界の人たち(第一幕)」は、未だその熱を失わずついに25万ビューを超えた。佐々木さんすげぇな、広告業界のヤツラは嫌いだ、やり過ぎじゃないか、どちらも大人げない、バカが可視化されたね、絡まれるのは有名税みたいなもんでしょ、タカヒロって誰?、こういうのは見たくもない、やじうまツイートがウザいなど、思うところは十人十色だろう。また、このことに関するレビューも数多く書かれている。ここでは中身についてはなるべく触れず、“外側”の話をしたいと思う。

インターネットにおける多数の匿名の人物による個人攻撃はこれまでも問題視されてきたし、「スマイリーキクチ事件」などで明らかになったように著名人もその例外ではない。ただ、今回誹謗中傷の的となった佐々木俊尚氏は非常にリテラシーが高く、個人として戦っている人物であるため、むしろ返り討ちに遭ったわけだが、実のところ「広告業界」の中で悪口を言っていた人たちはごく一部のマイノリティな存在なのである。その攻撃性故にビビッドに見えるだけで、広告業界を代表する意見でも何でもない。批判内容やその存在の大きさでいえば、本来は取るに足らないものと言えるだろう。
 
これは、「GREEの会員は3000万だがアクティブ会員は5%ほど」という話とあまり変わらない。視点の置き方によって何が多数派か少数派かは変わるというだけである。仮にTwitterのアカウントを持ってることが多数派だったとしても、佐々木俊尚氏や高広伯彦氏をフォローしている、直接フォローしていないがタイムラインに出てくる、フォローが多すぎて埋れてしまう、たまにしか開かないから何が起きてるか把握できない、アカウントを持っているだけなど、様々なステータスの人がいる。

つまり、本来かなり限定された世界での話なのである(20万ビューを超えてはいるが)。ただ、Twitterの外に出てしまうと、そうにはいかない。先日のエントリーでも「ノイジー・マイノリティ」と「サイレント・マジョリティ」について触れたが、構造的な話をすると、「佐々木俊尚氏に絡む広告業界の人たち」はノイジー・マイノリティとして、大多数のサイレント・マジョリティのもとに晒されることになったのである。つまり、「数多ある匿名のアカウントのひとつがつぶやいているだけ」という認識は通用しなくなり、「特定の人物を誹謗中傷している人たち」という位置づけになり、バーチャル、リアル問わず、個人として無言の視線を浴びることになるのだ。

翌日の朝、名指しされた人たちはこぞってリプライを送り、佐々木氏に謝意を表していた。これ自体は正しい振る舞いだと思う。だが、謝ったから「終わり」ではない。それは、佐々木氏が許さないという意味ではない。Ustreamでの対談を辞退すればリアルの世界で絡むことはないだろうし、二度と陰口を叩かなければいいことだ。では、Twitterでのやりとりを見ていた人たちに、あとで謝るなんて情けない、じゃあ初めから絡むなよなどと嘲笑されるからか。いや、それらはそれほど脅威ではない。何故なら、直接的な利害関係がないからである。

むしろ、恐れるべきなのは「サイレント・マジョリティの目」だ。つまりは、上司や同僚、取引先、これから出会う人々である。事の顛末を知る人はその中のほんの一部かもしれない。だが、何かの拍子で明るみに出るかもしれないし、Web上に事実をねじ曲げた情報を流されるケースもあるだろう。冒頭で“外側”と言ったのは、むしろこれから先のリアルの世界で起き得るリスクの話である。少々乱暴な言い方をすると、Twitter上で解決すべきことを怠ったために、外に引きずり出されてしまったのだ。

では、なぜ佐々木俊尚氏は取るに足らないはずのものをリアルの世界に誘ったのか。ここから先は憶測でしかないが、警鐘を鳴らす形で上記のリスクを可視化しようとしたのではないだろうか。その証拠に誰か一人をあぶりだして袋叩きにするのではなく、一人ひとりピックアップして個人として対峙する姿勢を貫いていたし、絡んだ人たちからのリプライをRTして受け手に判断を委ねている。また、Ustreamでの対談に関しても、先日の橋下徹VS反ハシズムのように佐々木俊尚VS反対派という構図で提案している。

つまり、個人として発言し、戦うことがどういうことなのか、自由な立場が内含する厳しさとは何かを示唆しているように思われるのだ。今回の騒動では、結果的に「佐々木俊尚氏に絡む広告業界の人たち」はある種のスケープゴートとなったが、これは決して対岸の火事ではないだろう。

※言論プラットフォーム「アゴラ」に掲載された記事を転載しています
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