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青木勇気

Author:青木勇気
小説を出していたり絵本も書きたかったりします。物書きと呼ぶにはおこがましいくらいのものですが、物語を書いて生きていけたら幸せだなと思っています。

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「電子書籍」という名の表現の硬直化について

2012.01.27 20:21|雑記
先日、不思議な体験をした。渋谷ユーロスペースにて行われた、映画監督・岩井俊二氏の『番犬は庭を守る』出版記念トークライブでのことだった。イベントの特典であるサイン付きの新作小説を受け取り座席に座ると、映画を観るときと同様、スクリーンには新作映画の予告編やPVが流れる。ぼんやりと美しい映像に見入っていると、それは突然始まった。

鯨はかつて世界の燃料だった。

一瞬クエスチョンマークが頭に過ったが、何が始まったのかを理解するよりも早く、次の一節が映し出される。とにかく付いていくしかない。声はなく、言葉をつかむタイミングを間違えないように導く音楽が静かに流れる。30分ほどだろうか、最後の一節が消えると再び照明が灯り、岩井氏が現れ種明かしをした。つまり、10ページほどある小説の第一章を丸々「見せた」というわけだ。

映画を観ることとも小説を読むこととも違う、新しい体験がそこにあった。そしてまた、映像も言葉も音楽もつくり出すマルチクリエイターである岩井氏の表現に、「電子書籍のあり方」を考えるヒントが隠されているように思ったのである。
もちろん、小説とは本来このようにして読むべきだなどと言うつもりはない。小説は200ページ以上あり、全部見ようとしたら途方もない時間を費やすことになる。あくまで、「表現の可能性」として意義深いということだ。

岩井氏は、「本の中で文字は窮屈そうにしている」と独特の言い回しをしていたが、それはつまりアナログでの簡易化を追求した結果としての「書籍」のあり方を浮き彫りにする。薄い紙に小さな文字で印刷することで持ち運べるようにコンパクトにし、いつでもどこでも読めるようにした物が書籍なのである。今となってはその形態を疑うことはないが、見方によっては便利な分、使用方法や表現が限られているとも言える。

「表現として最小限におさめられているからこそ、向き合うことができその世界の中に没頭できる。それが本の魅力じゃないか」と言われるかもしれない。実際そうだと思うし、「書籍」はそのままでいいとも思う。だが、「電子書籍」に関してはそうではない。本をデジタル化しても「書籍」という形態である限り、表現の可能性は広がらないからだ。

確かに、リーダーの中に数多くの書籍をデータとして格納し、いつでもどこでも持ち運べるのは便利だ。本屋に行くまでもなくデバイスを通して書籍を購入することもできる。だが、よりコンパクトになることや簡便になることを電子書籍の主なメリットとするなら、あまり進化がない。既存の書籍を電子化し安価で提供することでは、ビジネスを拡大できない。抽象的ではあるが、目指すべきは「従来の書籍のあり方を変えること」ではないだろうか。

一時期、スキャン代行業者に対して著作権者が提訴するなど「自炊代行問題」が話題になっていたが、これは著作権、複製権、公衆送信権い関わる「権利問題」であると同時に、古書量販店や漫画喫茶のときの論争同様の「フリーライディング問題」でもあり、非常に根深いものがある。

だが、これらは「従来のあり方を犯すものをどう扱うか」の議論であり、電子書籍の可能性の追求に逆行するものでもある。つまり、「電子書籍はこれまでの本のあり方を損なうものではない」と考えないと、新しい価値を見出す(認める)ことはできない。たとえば、小説を「見せる」ことは自炊によってはできないし、古書量販店や漫画喫茶では扱えないものを新たにつくることだって十分可能なのである。

最後に、電子書籍の位置付けについてデジタルメディア研究所代表・橘川幸夫氏が鋭く指摘していたので紹介したいと思う。

…『iPad』を手に持って見るとさ、本を読む姿勢なんだよ。つまり、『YouTube』やWebを「見る」んではなくて「読む」んだよ(笑)。進化するのは「読む」っていう行為の方なんだよ。だからそれをやればいい。映像をテレビに映すと「観賞する」になるけれど、『iPad』に映すと「読む」になる。だから、「読む映像」をやればいい。

少なくとも紙の本を電子に移し替えて読むことではない。「読む」行為の進化なんだよね。映像や音楽は情緒の部分で、「読む」は意志なんだ。意志と意志が交感することを「読む」って言うんだ。音を読むとか、写真を読むとか、いろいろ出てくると思う。小説が進化してマンガや劇画になったのは、物語を楽しむことの進化なわけだよね。書籍を「読む」ことはさ、活字を通して著者と読者が向かい合う行為なわけだよな。


※「【橘川放談 vol.2】電子書籍は紙の本を駆逐するものじゃないんだよ」より

電子化はあくまで手段。大切なのはいかにして電子化しないとできないことを実現し、書籍とは違う商品・サービスを作り出すかだ。当面他に呼び名がないのだろうが、多様な表現ありきのものが「電子書籍」という硬直化された言葉で表されるのは皮肉である。

※言論プラットフォーム「アゴラ」に掲載された記事を転載しています
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